普段『超』がつくほど健康で、何にも心配いらない子どもたちが立て続けに体調を崩したことで気づけたこと。
それは、日々の過ごし方、自分の時間の使い方が以下に受け身であったかということでした。
ここで、外部からの引用を。

み、耳が痛い…(この場合は、読むほどにしみる、というか)
どれも毎日目につくところに貼り読み返そうと思う内容ばかりなのですが、特に痛かったのが
- 『忙しい人』は、いきなり仕事にとりかかって仕事にとりかかり、後で段取りを考える。仕事完了に近くなった時点で「仕事の目的と最終完成物」を考える。
- 『仕事ができる人』は、仕事の始めに「仕事の目的と最終完成物」を明確にし、感性の為の段取りを考えてて仕事にとりかかる。
私、これが家庭では一切出来ていなかった!
&このことを、どうしても認めたくなくて、目を背けていた…!
じつはずっと思考停止していて、お腹が空いた、食べさせればいいんでしょう、と食事の支度をしたり、洗濯物が出た、洗えばいいんでしょう(洗うのは全自動洗濯機さんですが)、干せばいいんでしょう、と片付けたり。
小学生になりたての長男に準備をさせ、時間通りに登校させることや、宿題をさせることも同様です。目的を伝える前に、とにかくやりなさい、間に合わせなさい、と急き立てていました。しかし、子どもがこちらの思惑通りに動くはずもなく…あまつさえ、迷惑そうにこちらの言葉を受け流し、生意気な態度を取る。腹が立ちます。もう戦争です。
毎日それを繰り返すと、疲弊していきます。
自ら目的や段取りを考えるのを放棄しているのに、本当は自分がその状況を甘んじて受け入れているのに。私こんなにやっているのに!と被害者意識が大きく育ち、私を差し置いて幸せそうな(私にはそう見える)家族に、腹を立てさえしておりました。
本当は、そもそもが間違っているということに、もう気づいています。
仕事でも、価値を創りたい!と理想を掲げても、仕事に振り回されているように感じてしまうのは、結局は選ばれたいから、買ってほしいから、『私はこうしたい』と言い切るのが、怖いから。人生の根っこからその姿勢では、仕事でも、家庭でも、同じことの繰り返しなのだと、もう逃げられないところまで来ているのだと、思います。
自分の人生の主導権は、自分で握る。
真の意味での価値創造に、家庭が気づくきっかけをくれたと思っています。